全然眠れない
冬季オリンピック観戦に白熱していたわけでもないんだけど、中途半端にスケートだったりノルディックだったりを見たりしていたから、完全に昼夜逆転の生活をしてしまっているよ。きっかけはあの開会式だ。5輪のうち4輪だけ開かれて困惑したあの開会式から、僕は楽しみ続けていたんだろう。気がつけば2月が終わりそう。泣きそう。
戻すために夜を眠らずに過ごして次の夜を迎えたら眠ろうと決意をするも、気がつけば午前9時くらいに自然とお布団にもぐりこんでいる自分に気づき、そしてお布団の中で「ああ、よくない。これは本当によくない。」と言い、バイト前に起きるパターンに嵌っている僕だ。どうすれば良いんだろうなこれ。今日こそはちゃんと起きつづけてみよう。
しかしあれだね、この時間は本当にお腹が空くよね。急にさ、いかにんじんのことを思い出しちゃって。食べたいなぁと思ったりするわけ。でもね、それ一度も食べたこと無いんだ。どんな味なのか、どんな食感なのか、というかもうどんな見た目が本物なのかすらわからない。google画像検索で見たら色味が色々と違って、おいしそうなものからまずそうなものまで、幅広いんだからもう。
話が戻って、オリンピックは幕を閉じた。閉会式もばっちり見てしまった。胸が熱くなった。めがしらも、電子レンジに入れた紅茶も、熱くなった。そういえば高校生のとき、メールで「話が変わって」というのを「は/か」と書く(打つ)人が居たなぁ。初めはなんのことか全く解らなくて、タイプミス?とか返した記憶がある。それを思い出して、高校生の自分があったことに胸が熱くなる。
おやすみなさい。
さようなら、はじめまして。
なんとなくだけど。
思考停止してる気がする。
どうしてだろう。
学校がもう終わるからかな。モラトリアムから解放される。
この4年間はどうだった?
そりゃあもう、色々あったよ。
総合的に見たら十分に楽しめた。
前に進めたのかな?
それはどうだろう。気持ちだけは前に進んでいるけれども、中身はどうかな。
伴っているのかな。
3月12日にはニューアルバム『RAY』が発売される。
BUMP OF CHICKENの曲を聴きながら始まって聴きながら終わる4年間になってしまったな。
2010年の頭は、『HAPPY』と『魔法の料理 ~君から君へ~』で始まって、『宇宙飛行士への手紙/モーターサイクル』と当時のニューアルバム『COSMONAUT』が発売されて、それを聴きながら締めくくった。
それから紆余曲折したけど、結局バンプに戻ってきてしまったな。
戻ってきたというよりは、ベースにあるものがずっとそれだっただけだ。
『COSMONAUT』にはたくさんの思い出が詰め込まれている。BUMP OF CHICKENの4人にまつわること、それから自分がそれを聴きながら見てきた景色。そして繋がり。
リリースから3年と3ヶ月が経っているけれども、その間に数え切れないほどの出来事が思い出となった。
次の『RAY』では、どんな情報が僕に蓄積されていくのだろうか。その蓄積された情報が自分の血肉になって、また前に進めたらいいな。
映画日和
あっきーと映画『永遠の0』を観てきたよ。
舞台は戦時中で、戦争映画にカテゴライズされてしまうんだろうけど、戦争色というのかな、そういうものは全然感じられなかった。
とてもシンプルなラブストーリーと言ったほうがしっくり来るかもしれない。
結構うるっときたよ、そして頬を伝った。感動のシーンでもあんまり涙は流さないタイプなのに。
久々の映画だったせいか、それとも自分が大人になったからなのか、上映中に何かを食べる気になれなかった。
ポップコーンとか販売してるのにね。
昔、バイト先の後輩と映画に行った時には、マクドナルドでハンバーガーを買って持ち込んだことだってあったのに。
今思えば、あれは自分が何にも知らなかったんだろう。知らないということは、恐れすら生まないのかもね。
どっちが良いのか解らなくなる時もあるけどさ。
21世紀になってタバコなんて吸うもんじゃないよ
タバコは、20世紀の遺産みたいなもんだよ、きっと。文豪なんかが吸ってたのは、それはまるでチンダル現象のような、海外への憧れがあったからなんだよ、きっと。
洋食やヨーグルトなどの乳製品が流行ったのも、きっとそうなんだ。
僕は間違いを犯した。
それは、彼らを理解しようとしたが為に、喫煙を経験したことだ。正確には、以前にも理解しようとして試みたことはあったんだけど、吸い方がわからないし正解なのか否なのかもわからなくて、結局諦めた。
しかし、今回は違った。人として好きなふたりが吸ってるものを、自分だって理解したかったのだ。
まぁ、それはもう過去のこと。
そして半分は、バンプの藤くんやチャマが吸ってる(吸ってた)から。
ところで、室内で喫煙ってあんまり美味しく感じない。というのも、どれだけ広い部屋であっても仕切ってあるから、換気扇が付いていようが吐き出した煙が外へ逃げるなんてあんまり期待できない。
だからこそ、屋内喫煙所というのはだいたい白い霧のようなぞっとする光景になるのだ。
一方、屋外の喫煙所で、しかも周りに影響を出さないくらいのスペースで吸うようなタバコはなかなか美味しい。
さらに言えば山奥だ。大学の喫煙所ような。
そして自分が美味しいと感じられるのは、恐らくこの寒い冬だけである。
乾いた空気で、気温が低くて、飲んだ煙と冷えた空気が肺を巡り、ゆっくりと吐き出した煙が前方へまっすぐに伸びていく。
「なんだ、なかなか美味しいじゃないか」
あんな気持ちはあそこでしか味わえないのだろうか。
改めてバイト先の喫煙所で吸ってみる。
「なんだこれ、くそまずい、いや、まずいどころじゃねぇ。ムカつくくらいだ」
服にも髪の毛にも、たくさん染み付いてくれるじゃないか。
やっぱり僕はタバコなんてダメだ。煙はどうしても好きになれない。
でも、大学の喫煙所で見た、新しい景色は大好きだ。
それはとてもきらきらと輝いていて、冷たい空気を思い出して、身体の温かさを覚える。
保護シールはそのまま
「保護シールは剥がされないんですか?」
ドコモショップでこう訊ねられた。電源ボタンがおかしくて修理に出すための手続きをしていたのだ。
あ、剥がしますー。と言って剥がすことを試みるも、全然取れる気配がしません。対応してくれている店員さんと一緒に、セロハンテープなど様々な方法を試した結果、そのまま出すことになった。
「おそらく、修理された後は剥がされてますよ…?」
お姉さんはこう言うけれど、剥がれないものは仕方ないよね。カッターとか出してきそうだったけど、下手に傷つけても嫌だしさ。
そこから二週間。ようやく僕のXperiaくんが戻ってきました。
返却の電話があった日に、使っていた保護フィルムを調べてみると200円高くなってる…。
むむ。保護フィルムに1500円も出すの嫌だなぁ。
そうは思っても何も貼らないわけにはいかないし、他の製品で気に入ったものもない。
仕方なく購入することにしました。
返却されたXperiaくんを見ていると、明らかに外装は以前使っていたものと違って、新品の状態です。
しかも画面には、最初に貼り付けられている注意書きなどが書かれた保護シートが貼り付けられていました。
完全に別物になって帰ってきたんだなぁ…。
2013年の6月からの思い出の機種は、修理と共に消え去ってしまったか…なんて思ってましたよ。
これはあれか…、いわゆるリファビッシュ品なのかな。誰かが使ってたものが、修理に出されて僕のところに回ってくる。そして僕の使ってたものはこの後修理されて、誰かが持つのか。
ああ、そんなことならずっと使い続けてあげたかったなぁ。そう思って新しいフィルムを開封して、それから機種に貼り付けてある保護シートを剥がしてみたら…あれ?傷が付いてる。
汚れかな?と思って拭いたりしていると、なんと!前の保護フィルムが貼り付けられたままでした。
ということは、中身は前のままで外装交換だけ無料でやってくれたってことなのかな。
1500円も出したフィルムは予備用となりました。
おかえり、僕のXperia。たぶん基盤もそのままだ。ボタンだけはしっかり交換してくれたのか、それとも組みなおしてあるのか。カチッとした感触はやっぱりどこか弱く感じてしまうけど。
これからもどんどん思い出を刻んでいこう。
十日えびす
十日戎に行ってきました。本戎ではなくて、後戎(11日)なんです。
去年はバイト帰りに縁日に寄っただけでしたが、今年は今宮戎にもお参りする機会がありました。
商売とはあまり関係のない僕ですが、良い年にしようという願掛けだけでもえびすさんに縋ることは許してもらえるのではないでしょうか。
神社に入る前に笹やお面が売られている道を通ったのですが、これがなかなか良かったんです。ある程度人も多くて、左右には笹とお面と招き猫がずらずらと陳列されていて、独特の雰囲気を醸し出しているのです。
ゆっくりゆっくり進みながら、色んなものに目移りして様々なことを考えつつ、他愛もない話で笑うのです。とても不思議な気持ちでした。
縁日の生フランクやチキンステーキ、はしまきとこっそり帰りにげそ串…、けっこう食べました。フランクが一番高かったんですが、あっきーのおごりです。ごちそうさま。
久々にお祭気分を堪能したんじゃないでしょうか。
その後はハリスツイードの小物入れを探すために、ひたすら難波を徘徊しました。
途中休憩やゲーセンを挟みつつ。
去年の十日えびすでは、バイトの同僚と一緒にひるぜん焼きそばを食べながら、笑い話をした記憶があります。
もう一年も経ってしまったんだなぁと思うと、2013年は本当に何もしなかった年に思えてしまいます。
今年は必ず何かを達成しよう、絶対に。